質問コーナー:勉強する意味って?
随分と間が空いてしまいました
今回は質問箱によせられたこの質問にお答えしたいと思います
こんにちは
これって長年のテーマというか、日本人のほとんどの人がこの数十年で悩んできたギモンじゃないかと思います
僕もギモンでした
ただし、僕はある意味ちょっとタチが悪かったので
親や学校にとっていい子ではなかったです
そもそも勉強キライだったので
悩む前にとにかく学校の勉強を無視してました
でもなんの因果か塾・予備校・音楽教室などで
教える立場になってしまった立場から
なんで勉強(練習)するのか
に答えないといけないような機会が何度かありました
それで結局思うのは
究極的には勉強する意味というのは、
「普遍的には」存在しないということです
それはどういうことかというと
勉強というもの自体に
どんなに時代や環境が変わろうと
何か大きな意味が永遠不滅に内在している的な
ものではないということです
資本主義社会で、なおかつ学歴が社会的ステータスや収入などにとって意味を持つ環境下ならとりあえず一定の意味を持つとは言えると思います
つまり、勉強することで、学校の成績をいいものにして、内申点をあげて推薦で、もしくは一般受験を突破して、行きたい高校や大学に行く。
そして行きたい業種・会社に進み、社会的地位や収入を上げる
ということで自分の欲求を満たしたり自分の生活・生命を安定させることが可能、ということはありえると思います
より単純に言えば、よく言われる
「いい学校に行っていい会社に入れ」
というのをもうちょっと細かく表現したにすぎないのですが、
これは社会情勢が変わってきている現在では絶対のものではないですが、今でも全く正しくないものとまでは言い切れないと思います
つまり、勉強は自分の人生を安定させる、不安定な状態から自分を遠ざけるために役立ちうる、ということはこれまでの人類の歴史を鑑みて、学校誕生以来、現在まで当てはまることと言えると思います
(例えば、昔の中国でも科挙という試験で役人を採用していましたよね。歌人として有名な杜甫も受験していたそうです。勉強して役人の試験に合格すれば貧しい生まれでも安定的な生活をえるチャンスがある、というのは自分を守るために非常に大きな意味を持ちうると思います)
とは言え、「そんな理由だけじゃどうもしっくりこない」
「方程式とか日本史の知識とか古文とか、社会に出てから使うの?」
といったギモンや考えも出てくると思います
僕もそう思ってましたし、実際社会に出てから学校の勉強で与えられる知識がそのまま役に立つことはほぼないでしょう
(多分一番役に立つ可能性があるのは英語ですね)
結局、数学ができなくても英語ができなくても生きていくことはできます
それ以外の科目ができなくても同様に生きていけます
少なくともこれまでの日本ではそうでした
なので
「勉強は必要だ」
「数学(英語)くらいできないとあとで困るぞ」
というのはウソと言っていいです
これから先もそうだとは断言できませんが
これから先も学校の勉強ができなくても生きていける可能性は高いと思います
勉強する意味も
生きる意味も
結局はないんだと僕は思います
でももう僕たちは生まれてしまっているわけで
さらに自動的に教育を受ける社会システムの中に組み込まれてしまっています
意味はもともとないんだけど
自分で意味を作っていくのだという考えは一つ成り立つと思います
もうそういう社会に生まれちゃってるんだから
少しでもそれを自分の人生において役立てるように工夫する
ことが意味だと考えるのもありだと思います
勉強というのも結局自分のためにするのだと思います
自分のために全くならないものならば、する必要はないと思います
でも正直例えば10代の人たちに自分のために全くなならないかどうかの判別は難しいと思います
生きてきた時間の長さも50代とかの人たちに比べて圧倒的に少ないし
社会に出た経験もないから実感としてわかりようがないからです
(アルバイト経験とか、早い段階で起業してしまうとかそういう経験は早い段階で社会を知る機会であるとは言えますが)
なので、勉強が必要か、自分の人生にとって意味があるか、役に立つかと言った結論を出すのは、10代や20代前半という非常に若い時期ではほとんどの人には無理だと思います
ただ、一つ言えるのは、自分の可能性を広げることができるということだと思います
以前島田紳助さんも『深イイ話』という番組でおっしゃってましたが、紳助さんの娘さんがすごく勉強を頑張ってたくさんしていて、
「なんでそんなに勉強するんだ」と
紳助さんが尋ねたら、
「人生の選択肢が広がる」と
いう答えが返ってきて
「なんで自分はそのことに学生の頃に気づかなかったんだ」と
悔やんだと言います
「10000万円持っていれば、4000円のものを買ってもイイけど、300円のものを買ったってイイ。でも1000円しかなかったら300円のものは買えるけど、4000円のものは買えない」
という喩えもとてもわかりやすくて見事でした
それが勉強する意味だと考えてみてもイイと思います
そして「勉強する意味ってなんだろう」
というギモン・悩みは
結局、親・学校・社会に対するギモン・反抗心・不信感の現れであることが多いのかもしれないとも思います
つまり、誰もちゃんとした答えを返せないし、親だって学校の先生だってわかってないこといっぱいあって、いっぱいごまかしたりしてるのに、自分も英語ろくに喋れないくせに何言ってんだ、みたいな思い
あんまり意味ないことまで無理やり押し付けて、自分の声・気持ちに全く耳を傾けてくれないまま、上から押さえつけて、一個の人間じゃなく、人格のない所有物のように命令に従わせようとする
みたいな思いが何処かにあるケースは少なくないんじゃないかと思うんです
親が望むから、学校や社会に要求されるから、というのに反発しているということです
楽しく自分のやりたいこと得意なこと興味のあることに集中して取り組んで、それを自分のスキルとして蓄積できれば、そういうギモンは出てこないのじゃないかと思います
なので、勉強は自分のためにやるんだと思ってみてはいかがでしょう
親のため
学校や社会の要求に応えるため
世間体のため
人と比べて優越感に浸るため
そういった動機で頑張れる人もいるかと思いますが、それでエネルギッシュにやり通せる人って実はそんなに多くないんじゃないかと思ったりします
自分のため、自分のやりたいこと、自分の生きたい生き方のため、親や教師に文句を言わせないため、と考えた方が僕自身はしっくりきます
言われるがままにただ歴史の年号とか暗記してもクソつまんなくないですか?
社会の不条理
人間の愚かさ・罪深さ
歴史上の人物もこんな欠点があった・実はダメ人間だった
過去の出来事・先人の成し遂げたことや失敗からこんなことが学べた
偉人として語り継がれている人にもこんな失敗やダークサイドがあった
外国でも日本でも人間はこういうところはおんなじなのかもしれない
こういったことを歴史から学べる時、僕は楽しさやワクワク感などを覚えます
サイクリング・散歩・旅行を楽しむようになってから、地理も楽しくなりました
社会について、現実の自分の人生について、より真剣に考えるようになるにつれて、政治経済にも興味が出てきました
数学も日常のいろんなところに応用されています(知らなくても生きていけますが)
現代日本語や古語、伝統文化を学ぶことで、英語と比較して自分の生まれ育った国のことをより深く学ぶことができます。そしてそれを外国の人たちに伝えることもできます
自分の興味や個性に合わせて、できることからやっていくのがいいのじゃないかと自分では思っています
なかなかまとめるのが難しいですが、少しでもヒントになれば幸いです